つかこうへいと僕(2)

つかこうへいと僕(2)

 9PROJECT 10周年特集の一環として、僕とつかさんのことをちょっと書いてみようと思います。書いたら長くなったので、(1) (2) (3)に分けようと思います。

大分での衝撃事件

 大分では、尊敬する大分市つかこうへい劇団の皆様( 由見あかりさんとか、田中竜一さんとかですよ!)の皆さんと、毎日稽古。この日々は、楽しかった思い出しかないです。皆さん、本当に優しいし、いろいろ諦めて芝居をすることだけに集中してましたから。でもね、そんないいことばかりなわけがないんですよ。天下のつかこうへい劇団で。

 この頃、僕は劇団のホームページで、「大分島流し日記」なるものを毎日書いてました。僕の大分での日々を綴った日記ですが、虚実ないまぜと言いますか…ご存知の方は、渡辺版の「腹黒日記」だと思っていただければ良いかと思います。事実がベースなんですが、本当のことは一つもありません。それもそのはずです。毎日つかさんからFAXでネタが送られてくるんです。大抵は、台本の裏紙に書き殴った、一行か二行。

「思いあまって東京に行く」…とか。

 当時、東京では「二代目はクリスチャン」の稽古が行われてまして、一応僕もキャスティングされてました。でも一向に戻って稽古に参加しろ、と言われなかったんですね。それにヤキモキしてる日記も何度か書いてたと思います。で、この日とうとう、思いあまって東京に行った、と。

 …なるほど、なるほど。筋は通った話です。そりゃあ、そういうこともあるでしょう。何の問題もありません。僕が大分の事務所でFAXを見つめてる以外は。

 とまあ、こんな具合に送られてきたネタを見て、「ああ、僕は東京に行ったんだなぁ…」とアレコレ想像を膨らませて、嘘の日記を書くわけです。日によりますが、結構な長文日記でしたね。お客様にもご好評いただいたようで、励ましのメールなどもいただきました。(その節はありがとうございました。大変励みになりました)

 でまあ、結局東京に戻ることはなく、「二代目」の公演が終わってすぐに、つかさんが大分に来ました。

「稽古してたか」
「はい」
「よし、見せてみろ」
「はい」

 大分で稽古していたのは、「ロマンス」でした。田中さんと僕がシゲルと牛松だったんですが…どっちがどっちやってたんだっけ…? まあとにかく、ずっと稽古していた組み合わせで、つかさんの前で稽古が始まったんですが、始まってすぐ…

「違う、逆だ」
「…え?」

 時が止まりました。いや、セリフは覚えてますよ。どっちのセリフも。でも…逆?

 その後の記憶はないです。なんとかかんとか、二人のシーンをやり終え、つかさんはたった一言「稽古しとけ」とだけ言って帰っていきました。ズタボロだったのは分かってますから、その後も何をしてたかはよく覚えてません。ただただ黙々と、いつもの稽古終了時間まで稽古して…事務所に帰りました。

 事務所を開けると、当時の市の担当の方が、真っ青な顔で待っていました。
「渡辺くん、ホームページ、見た?」
 今帰ってきたばかりですから、当然、見てません。
「とにかく、見て」

 ……。
 そこにあったのは、「渡辺、クビ」の文字でした。

 いや真面目に死ぬかと思いました(笑) でもその文字は、朝には消えてました。そして次の日から、つかさんは大分の皆さんと稽古をし、僕はBGMの音出しをしてました。その稽古で、僕に出番が来ることはありませんでした。

(…今の価値観だと、ひどいと思われるかもしれませんね。でもそうじゃないんですよ。あの稽古場で、僕をボコボコにしようと思ったらできたはずなんです。でも何も言わなかった。言うほどの価値もなかったのかもしれないし、何か思うところがあったのかもしれない。それは分かりません)

人生が変わった日

 そして年末になって、つかさんが大分を去る日、空港への車につかさんは僕を乗せました。そして空港近くのホテルのラウンジで、2つの事を言いました。

「お前、俺の芝居で何が一番好きなんだ?」
「売春捜査官です」
「どの役が好きだ」
「大山です」
「分かった」

 この時、つかさんは何も言いませんでしたが、その後、僕の地元を含む数ヶ所での「売春捜査官」の公演に、僕は大山役で出演することになります。そして、僕の人生を決めることになる、ひと言…

「お前、文章を書けるから、本を書け」

 あの「島流し日記」での文章を、つかさんは気に入ってくれてたんでしょう。この一言がなければ、今の僕はありません。

 当時は、入ったばかりの能無しの新人です。あの日の稽古で、劇団から追い出しても良かったはずなんです。でも、つかさんは何も言わずに稽古に参加させてくれたし、僕のために花向けの公演を企画し、今後の人生に道筋を立ててくれました。