間もなく始まる、新作戯曲「異ノ邦ノ人へ」(イノクニノヒトヘ)の稽古が続いています!
世間に理解されない男と、その男に「正しさ」を説く神父の物語です。
カミュの「異邦人」から着想を得た新作ではありますが、そのままの舞台化というわけではありません。
「異邦人」をベースに芝居を作ってみようと思い立ったのは、「熱海殺人事件」の初演版を上演したときでした。
「熱海」の中には、犯人の大山を「大山ムルソー」(ムルソーは「異邦人」の犯人の名前)と呼んだり、「熱海の浜がアルジェの夏に匹敵するかね?」などといった、「異邦人」のモチーフが随所に出てきます。
セリフだけではありません。「熱海殺人事件」はたくさんの点で「異邦人」との共通点が見られます。
・ムルソーの事件は、新聞記者たちには全く注目されていなかった。
→熱海の事件も三面記事にもならない事件
・それが判事の手によって、まるで「凶悪事件」のように仕立てられてしまう。
→犯人を立派な犯人に仕立て上げていく部長刑事
・ムルソーが殺人を犯したことは疑いがない。
→「そう! お前が人を殺したの。そんなのみんな分かってんの」
・事件そのものよりも、犯人の人間性ばかりが取り沙汰される。
→熱海でも大山は捜査が進まないことにイラ立つ
・母親を愛していても、葬儀の際に「世間の望む悲しみ」を見せないと愛情を認められない
→人を殺しても、世間に認められなければ犯人になれない
などなどなど…。
つかこうへい先生が元気な頃から、飽きるほどにやり尽くしてきた「熱海殺人事件」ですが、今、こうして新たな角度から作品を検証できるのは本当に面白いです。
今回、この「異邦人」という作品をしっかりと読み解き、さらにそれを自分たちなりに新たな作品に昇華したならば、次に僕たちがやる「熱海殺人事件」は全く別なものになっているでしょう。
…いや、もしかすると、結局行き着くところは、つかさん自身がやっていたものになりざるを得ないのかもしれない。
でも、耳元でセリフをつけられ、「考えるな、やれ」と言われてやっていたあの頃とは、確実に違う。
僕らが必死に読み解いて作った、昨年の「熱海殺人事件」初演版ともまた違う。
そしてそれは、きっとこの作品をご覧になった皆さんもそうだと思います。
今作の中にも、「熱海」のモチーフをいくつも入れ込みました。これを見て、次に「熱海」を見たら、また見え方が違っていることと思います。
「熱海」において、犯人の大山は「普通の人」であるが故に「異邦人」であり、処刑されるために立派な犯人になることで、世間に受け入れられていきました。
今作「異ノ邦ノ人へ」において、犯人の選ぶ“人生”とは何か…?
親愛なる異邦人たちへ捧げる、希望の物語です。
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